一人経理の会社で不正を防ぐ方法は、「よく見ること」ではありません
2026年9月2日の日本経済新聞で、大阪の人材派遣会社で起きた給与の水増しが報じられました。経理を1人で担っていた社員が、約11年にわたって自分の給与を水増しし、総額は5,100万円あまりになったという内容です。
まず、被害に遭われた会社の皆さまにお見舞い申し上げます。以下は報道されている範囲の情報をもとに、こうした被害を防ぐための方法の一例をお伝えするものです。
手口は、報道によれば単純なものでした。全従業員分の振込依頼書を作って社長の決裁を受け、そのあとで自分の分だけ金額を書き換えて銀行へ送っていたとのことです。
誰かが手を抜いていた、という話ではありません。
社長は、決裁していました。
見ていなかったわけではありません。それでも11年止まりませんでした。発覚も内部の点検ではなく、銀行から届いた別件の不備連絡がきっかけだったと報じられています。
目次
「経営者が常に監視する」で止まるのか
こういった記事は、たいてい「経営者が常に監視すべきだ」という結論に落ち着きます。正論ではあります。そもそも、全従業員分の振込依頼書を社長が決裁するという手続き自体は、あったわけです。ただ、今回の件は監視の量の問題ではありません。
社長が決裁したのは、合計金額の書かれた1枚でした。実際に銀行へ送られたのは、そのあとで書き換えられた別の1枚です。
つまり、承認したものと、実行されたものが、同じかどうかを誰も見ていなかった。 ここに穴がありました。
そして、この穴は「よく見る」では塞がりません。社長がその1枚をどれだけ丁寧に見ても、そのあとで差し替えられたら同じことだからです。加えて、忙しい経営者が監視をさらに強めるための時間を、どこから生むのかという問題もあります。時間が足りないのはそのとおりで、しかも、時間をかけたところで防げません。
一人経理の難しさは、業務量ではありません
経理担当が1人であること自体が悪いわけではありません。日本商工会議所・東京商工会議所の調査では、売上高1千万円以下の事業者の79.4%が、経理事務を1人で行っています。 さらに76.4%の経理担当者は専任ではありません。 代表者や営業担当者が兼務している、ということです。(出典:「中小企業におけるインボイス制度等に関する実態調査」2025年9月9日公表。調査期間 2025年6月23日〜7月31日、回答2,710者。うち売上高1千万円以下は907者。調査結果はこちら)
珍しい状態ではありません。ただし、この調査に答えているのは各地の商工会議所の会員企業なので、日本の中小企業全体から無作為に選ばれた数字ではありません。 実務上の体感としては、もう少し規模が大きい企業まで含めても「一人経理」の会社は増えてきている印象です。IT化が進み、一人でこなせる業務量が増えてきているのも、その要因だと思われます。
問題は、同じ人が「やる」と「確かめる」の両方を担うのは難しいということです。
これは、不正が起きたときにいちばん厄介な形で表に出ます。疑いが出たときに、調べる役目もその人にあるからです。
不正調査の世界では、疑いのかかっている本人が調査を主導することは、まず認められません。 証拠が消える可能性があるからです。ところが一人経理の会社では、社長が「ちょっと調べておいて」と頼む相手が、構造上その人しかいません。しかも、普段から人に見せる想定で作られていないものを、その時だけ見るのは至難の業です。
「誰に頼めばいいか分からない」という状態そのものが、リスクです。
見つかるときは、たいてい偶然です
今回の件も、銀行からの別件の連絡がきっかけでした。内部の点検で見つかったのではありません。
私たちは、経理をお預かりする側として、引き継ぎで過去の帳簿を確認しなおすことがあります。前任の担当者が辞めたあと、あるいは体制を変えるタイミングで、過去の処理を一度ぜんぶ見る場面です。
そのときに感じるのは、この種のものは「決まった場所」から出てくるということです。探し方に特別なものは要りません。ただ、中にいる人には、その場所を見る機会がないというだけです。
見ているのは、だいたいこういうところです。
- 合計だけで承認されているもの … 振込、給与、支払一覧。承認された紙と、実際に出ていった金額が一致しているか
- 現金や相殺で消えている債権 … 入金の記録がないのに売掛金だけが消えている。お金の動きを伴わない消し込みは、必ず理由が要ります
- 承認の記録はあるのに、現物が残っていないもの … 「承認済み」とだけ分かって、何を承認したのかが残っていない
- 同じ人が作って、同じ人が確認したことになっているもの
どれも、帳簿と、その裏にある書類を外から一度通して見れば分かる類のものです。(承認された紙、証憑、承認の履歴まで見ないと当たらないものが混じっています。帳簿だけを眺めても出てきません。)逆に言えば、一度も外から見られていない帳簿は、何年でもそのままということでもあります。
小さい会社でも、分掌はつくれます
内部統制の教科書には「職務分掌」と書かれています。作る人・承認する人・記録する人を分けなさい、という話です。人数の問題ではなく、分け方の問題なのですが、読むとどうしても「3人いないと無理だ」と受け取ってしまいます。
でも実際には、経理が1人しかいない。だから「うちには無理だ」となります。
ここで発想を変えると、分けるべきは人ではなく役割です。この記事では、役割を次の3つで考えます(「記録する」を、実務に近い「確かめる」と言い換えています)。
- 作る … 仕訳を起こす、支払データを作る
- 承認する … これを払ってよいと決める
- 確かめる … 承認したとおりに実行されたか、帳簿が実態と合っているかを見る
社内に残すべきは「承認する」です。 誰に払うかを決めるのは経営の仕事で、外に出せません。
外に出しやすいのは「作る」と「確かめる」です。 そして重要なのは、この2つを同じ人が持たないことです。私たちが経理をお預かりするときも、作業をした人と、月次で確かめる人は分けています。
完全に防げる仕組みはありません。組み合わせが重要です。
先に伝えておきます。外注しても、不正を完全に防ぐことはできません。
これは外注が頼りないという話ではありません。そもそも、突破できない仕組みというものが存在しないからです。中身を知っている人が本気で回避しようとすれば、どんな仕組みも抜けられる可能性は残ります。今回の件も、承認という仕組み自体はありました。 その後ろで書き換えられてはいますが、何もなかったわけではありません。
だから実務では、ひとつの仕組みで守り切ろうとせず、性質の違うものを組み合わせ、重ねることが重要です。 承認を分ける、記録が残るようにする、外の目を入れる、期間を決めて全件を通す。一つひとつは破れても、同時に全部をすり抜けるのは難しくなります。
そして、重ねるものの中でいちばん手をかけずに始められるのが、別の人に見せること(牽制)です。権限を組み替えるのも、記録を残すようにするのも準備が要りますが、「外の人が見ている」という状態は、見てもらうだけでつくれます。
この種のことは、ある日いきなり大きな額から始まりません。小さく試して、誰にも何も言われなかったことを確かめてから、やがてエスカレートしていきます。11年や5,100万円という数字は、その最初の一歩が止まらなかった結果であって、最初から11年分の計画があったわけではないはずです。
だとすれば、効かせるべきは最初の一歩のところです。そこで「これは誰かが見るかもしれない」と思えれば、多くは始まりません。見つけるためというより、始めさせないために効きます。
私たちも、不正が起きたあとの帳簿を整理する側に立ったことがあります。そのときに感じたのは、外からの目が定期的に入っていれば、違っていたかもしれないということでした。
そのうえで、外注に依頼するだけでは、職務分掌になりません。 経理を外に出しても、作るのも確かめるのも同じ担当者1人がやっているなら、社内で1人が抱えていた状態が、社外に移っただけです。
また、「その外注先が不正をしたら」という疑問は当然です。 外注先も他人ですから、無条件に信用できるわけではありません。ここに答えるには、銀行の権限をどう配るかまで踏み込む必要があります。
銀行の権限は、ひとかたまりで考えない
「支払を決める」ことと「銀行を操作する」ことは、同じだと考えられがちです。振込を実行できる人は、支払を決められる人だからです。
ただし、銀行の操作権限はひとかたまりではありません。 法人向けのインターネットバンキングには、たいてい申請(振込データを作って上げる)と承認(実行する)が、別々の権限として用意されています。ここを分けて配ると、統制の形が変わります。(個人事業主向けや、契約しているプランによっては分かれていないことがあります。まず自社の契約でこの2つが分けられるかを確かめてください。)
私たちがお勧めしているのは、この組み合わせです。
- 申請の権限は、外に出す。 振込データを作って上げるところまでを外注先が持つ
- 承認の権限は、外に出さない。 実行するのは社内だけ(社長など)
- 社内の経理担当には、申請の権限を渡さない。 経理担当が持つのは閲覧だけ、または承認だけにする
こうすると、経理担当も外注先も、1人では送金を完結できません。 外注先は申請できても実行できず、社内は実行できても申請を作れない。「自分で作った支払を、そのまま自分で実行する」という動きが、そもそもできなくなります。今回の件は紙の依頼書とFAXでしたが、成立していたのはまさにこの動きでした。
急ぎの支払だけは、社長が申請から実行までを行えばよいと考えています。社長は両方の権限を持つことになりますが、支払を決めるのは社長の仕事なので、ここは分ける対象ではありません。例外を社長に寄せておけば、例外が起きたこと自体も見えます。
ここが曖昧な提案は、社内で1人に集中していたリスクを、社外の1人に付け替えているだけです。それでは牽制になりません。
明日からできること
仕組みを入れ替えなくても、今日から効くことがあります。
1. 承認したものと、実行されたものを突き合わせる。 合計だけでなく明細で承認し、そのうえで、銀行から返ってきた実行結果と並べて見る。 承認のあとで書き換えられていないかは、突き合わせないと分かりません。 今回の件も、ここで見つかれば、被害は最小限で食い止められたはずです。
2. 通帳と入出金明細を、経理以外の人が見る日をつくる。 月に一度、社長でも構いません。見ていることが分かっているだけで、状況は変わります。
3. 年に一度でいい。外から通して見てもらう。 見てもらうのは、その期間の入出金の明細と、それに対応する仕訳・証憑です。不正を疑うためではありません。一度も外から見られていない期間をつくらないためです。
3つとも、それだけで不正を止められるものではありません。 「見られている」と分かる状態を、重ねてつくるための、いちばん軽いやり方です。
そして3つとも、担当者を疑う話ではありません。疑わなくて済む状態にしておくという話です。信頼していても仕組みは要る、というだけのことです。
気になったら、一度ご相談ください
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「うちは経理が1人だけれど、どこを分ければいいのか」「今の体制で、確かめる役が誰もいないかもしれない」——そういう段階のご相談で構いません。 今の流れを書き出して、どこが1人に集まっているかを一緒に見るところからお手伝いします。
おわりに
11年というのは、長いです。ただ、気づけなかった11年というより、「気づかれるかもしれない」と思う場面が一度も来なかった11年だったのだと思います。
経理が1人の会社は珍しくありません。1人であることは、変えなくていい。 変えるべきは、その1人が「やる」と「確かめる」の両方を持っていることのほうです。
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